Thursday, July 15, 1999

【'99-01】帯広の五右衛門さんに助けれらた

毎年、夏になるとオートバイを点検に出すことにしていて、今回はクラッチワイヤーとアクセルワイヤー、それと前後のタイヤを交換することになっていた。点検の結果、プラグとブレーキパッドも交換したそうだ。しかし、バイク屋に出すまでは普通に走っていたのに、修理が終わった途端に走らなくなってしまっていた。何で?

新品のタイヤを、出発前に少し削っておこうと思った。近所を走ってみる。そして不調は突然訪れた。初めはガス欠に似た症状が出て、ガスを補充してみたけれど直らない。それどころか、アイドリングが一定しなくなってきた。すぐにバイク屋にかけあったが「そんな筈はない」と言われてしまった。

最悪の状況は、北海道上陸当日にやってきた。それまで止まらずに走れたのが不思議なくらいだ。豊頃町の《ハルニレの木》を探しているとき、突然マシンが止まってしまった。エンジンをかけることは出来るが、明らかに不調だった。アクセルをひねっても反応が遅い。今にもまた止まってしまいそうな気配。

幸い、帯広という大きな町に近かったので、とりあえずバイク屋で診てもらうことにした。ホンダの店でなくてもよい、もうどこでも良かった。

大通りに出て、はじめて目に入ったのがカワサキのバイクショップ。迷わずそこに入った。店内には、ひょろっとした若い店員さん一人だけ。『ルパン三世』に出てくる石川五右衛門のような人だった。

旅の途中だったから、バイクを預けて「それじゃまた」という訳にはいかない。私はマシンの状態を伝え、五右衛門さんは考えうる要因を探っていた。「外側から(修理)出来る部分を診ていきましょうか。」

原因を追求しているうち、プラグを外してみることになった。なんと、前後二つのプラグは、きちんと締まっていなかった。「ここにワッシャーがありますよね。これが潰れないといけないんですよ。」 なんともまぁ・・・。

プラグを「まともに」締めなおしたら、前よりもマシな状態になった。店の近くをちょっと試走してみたら、アイドリングもアクセルの反応も良くなっていた。完治したとは言えないまでも、これならなんとか走れそう。「細かいところは帰ってからしっかり診てもらったほうが」ということで、私は旅を続けることにした。

北海道を走っている間、それから帰宅するまでエンジンは止まることも無く、なんとか走ってくれた。しかし。やっぱり原因は他にもあるらしかった。しばらくエアクリーナーを交換していなかったことを思い出し、バイク屋に行ってみた。これで良くなればいいのだが。

「何が原因なんだろう? こんなもんだと思いますけどね」の一点張りだったバイク屋の若いお兄ちゃん。帯広での話、それから実物(マシン)を持って行って見せたら「確かに変ですね」と、やっと不調を認めた。今後も修理を要するだろうけど、この人に任せて大丈夫かしら・・・。なにしろ、プラグの締め付けさえ出来ていなかったのだから。不信感がつのる。

人間の体が不調なとき、いくつかの病院で診てもらったほうが良いときがある。オートバイだって同じじゃないか。そう思って今度は別の店に行ってみた。スズキ系列だけど、信頼できると評判をきいていた店だった。
そのバイク屋さんは、プラグの焼け具合から推測してタンクを外した。「あれっ?! ホースが無い!」 愛車のマニュアルと見比べたら確かにホースの付き方が違っているようだった。「これじゃあ、ガソリンがちゃんと行かないよ~。プラグも焼けないし。」・・・なんともまぁ。

プラグといい、ホースの場所といい、「まさか」と思うような所がまずかったらしい。考えてみたら、点検に出したとき、ついでにアクセルワイヤーを交換した。ワイヤーはタンクを開けないと付けられない。タンクを開けるとホースが外れることになる。そしてまた、タンク取付の際にホースの付け所を間違えたらしい。そういう結論に至った。「お粗末すぎるなぁ。」

少なくとも二箇所、正常な状態に戻したのだから、以前より悪くなることは無いだろう。もう少し走ってみなければ完治したかどうか、なんとも言えないが。でもまぁ、北海道から無事に帰ってこれて良かったと、心底そう思う。あの時、五右衛門さんがプラグを締めてくれていなかったら、私はまだ北海道に居たかもしれない。

Wednesday, July 14, 1999

【 '99-02 】 丸松食堂にて

帯広の五右衛門さんに(オートバイの)応急処置をしてもらった後、昼食をとることにした。マシンが「とりあえず」の状態になったという安心感から、どっと空腹を感じたのだった。

カワサキのバイクショップ前の道路を渡った所に一軒の食堂を見つけた。「豚丼」という旗が風で翻って私を誘っている。その店は丸松食堂と言う。お客が十人も入れば満杯、という感じの、こじんまりした食堂だった。昭和45年から営業しているそうだから、丁度私の年齢と同じだ。店は古いけれど、なにか惹かれるものがある。

店は初老夫婦が切り盛りしていた。何処から来たの?と訊かれ、横浜だと答えると「今年はね、東京もここも暑さは変わらないのよ」とおっしゃった。「暑くて牛もまいっている」とも。

豚丼が出来た。ドンブリ飯の白色と、タレが絡んだ豚肉の黒は食欲をそそるコントラストだった。味はこってりしていて旨い。私はこのとき初めて豚丼というモノを食べた。しばし無言。

近海郵船が無くなるっていうんで、このまえ十勝までのツアーに参加したのよ、とおばちゃんが言う。そうなんですよね、道東が好きだから残念です、と私。

ゆっくり時間をかけて味わい、満腹で大変幸せな状態になれた。「豚丼がテレビで紹介されてから、駅前の店は流行ってるらしいけど」と、おばちゃんは前置きしたあと、「でもウチは味で負けてないよっ!」と自信あり気に言った。

私は駅前の豚丼を食べたことは無いけれど、きっとおばちゃんお豚丼のほうが旨い、圧倒的にそうだと勝手に思ったのだった。

Tuesday, July 13, 1999

【 '99-03 】 野営場の猫

キャンプを始めてから、もうかれこれ4年になる。寝心地の良い芝生、雨天のテント設営、突然現れた野生馬・・・等など、野営場でのエピソードを数えたらキリが無い。

今回の北海道ツーリングでも、8泊中の7泊を空の下で眠った。最初の日は上士幌(かみしほろ)という町を選んだ。聞いた話では、北海道には気球を飛ばす所が幾つかあるが、この町もその一つだそうだ。

翌朝、この野営場に一匹の可愛い容姿をしたノラ猫が現れた。時間帯は朝の食事時。あちこちのテントの様子を伺っているようだった。その猫は濃いグレーの縞模様をまとっている。歩く姿は野性的(そりゃそうか)。そこで私は勝手に名前を付けさせてもらった。《クロシマ・トラ》さん。

コーヒーを飲みながら、しばらくトラさんを眺めていた。彼女(もしかして彼かもしれないが)は、野営場の中心にある調理場に向かった。そこには人間の腰の高さほどの木製台があって、その下にチョコンと座っている。傍の流し台では、一人の男性が洗い物をしている。何かおこぼれがないか気にしているように見える。男性のほうも、トラさんの存在には気づいていて、作業が終わるとトラさんを撫で撫でしてあげていた。

おこぼれが貰えなかったトラさんは、今度は私たちのほうに向かって歩いてくる。「ごめんね~、何も無いのよ。」 その言葉を理解したかのように、彼女は少し離れた場所に行きチョコンと座った。なんだか奥ゆかしい猫だ。

朝の空に青色の気球が上がった。それに見とれている私の横で、クロシマトラさんもジッと青色の物体を見上げている。「今までに何度も見てきたわ。それにしても、どうしてあんな物が空に浮かぶのかしらねぇ。」 そんな事を考えているかのような顔つきだ。

野営場に居る猫たちは皆、人間とは付かず離れずという距離を保っているように思う。近寄り過ぎると追い払われるし、遠巻きに見ているだけでは獲物にありつけない。「なんだ、猫か。」と言って、ぽーんと餌を投げてもらえる距離、そんな位置に彼女たちは居る。上士幌のクロシマトラさんは決して媚びなかった。それが気になる存在にさせるのか。

それにしても、彼女、冬はどうしているんだろう? 町まで歩いて行って、どこかの軒下にでも暮らしているのだろうか。旅を終えた今でも気になるのだった。

Monday, July 12, 1999

【'99-04 】 カニ街道

知床ビジターセンターに行きました。知床の自然を紹介している所。バイクを停めて建物の中に入ろうとした時、お年寄り(3人)の観光客に声をかけられました。「カニは要らんか?」

 私「エッ?カニですか?(何を言われているのか???状態)」
 老「そうそう。カニを持っていってくれないか。人助けだと思って。」

私たちはてっきり「お持ち帰り」に出来るものだと思っていました。しかし出てきたのは発泡スチロールに山ほどのカニ(それも細い脚ばっかりで旨そうに見えない)。
 
 老「知り合いに貰ったんだが、わしらだけでは食いきれん。協力してくれ。」
 私「・・・バイクだから持って帰れないし(困り果てる)。」
 老「バイクの人たちに協力してもらって! ほらほら、あそこに沢山居るじゃないか。
   頼んできたら! お願いだから!」

殆ど押し付けでしたね。

仕方なく、関西方面から来たという大学生ライダーたちにお願いしました。彼らが学生で良かった。道端で一緒にカニを食ってくれる人なんて、そうそう居ないだろうから。

捨てるわけにもいかず、10人ほどで黙々と消化していきます。道行く人たちの、奇異なモノに向ける視線に耐えながらの試食です。

やっとの思いで殻だけになったのは良いのだけど、今度は「このゴミをどうするか」が問題になってしまいました。あの老人たち、渡すだけ渡してサッサと帰っちゃったし・・・。私はタンクバッグに特大ビニールを入れておいたのを思い出し、とりあえず片付けることになりました。「で、これをどこに持っていけばいいの?」

大学生が、山の下にあるゴミステーションまで持って行ってくれることになりました。二人乗りで、後ろの人がゴミ袋を抱えるという作戦。しかしそこでまた問題発生! なんと、殻がビニール袋を突き破り、カニ汁?が垂れてきてしまった。皆ワーワー騒ぎました。

残骸はなんとか無事に処理することが出来ました。山を下った所にあるゴミ捨て場迄3キロの道のり、カニ汁を滴らせながら・・・と言う訳で、この道路は『カニ街道』と名づけられました(多分)。

Sunday, July 11, 1999

【 '99-05 】 民宿たんぽぽ

今回も旅の途中で布団が恋しくなってきた。翌日の天気が期待できそうに無いその日、民宿たんぽぽに泊まりました。知床の観光案内所で探してもらいました。この辺は所謂観光地なので、宿には不自由しません。ただ、私は立派なホテルに泊まりたい訳ではありませんでした。いつもそうですけど。

「これくらいの予算で」と案内所に伝えると、直ぐに幾つかの宿が浮上しました。雨が降りそうだったので、早いとこ決めてゆっくりしたいと思いました。それで決めたのが「たんぽぽ」だったのです。

チェックインまでまだ少し時間がありました。とりあえず場所だけ確認しました。一匹のシャム猫が、私の顔をジロッと見て歩いて行きました。
「たんぽぽ」は電機会社との兼業民宿らしい。外観は普通の一軒家に見えます。昔から民宿を営んでいたと言うよりは、子供が巣立った後に改築して出来た宿、という印象です。離れに温泉があります。廊下の小型冷蔵庫には冷水が常備してありました。館内は清潔な感じがします。居心地の良い宿です。

荷物を部屋に運び入れたりして、ゴソゴソしていると猫が入ってきました。さっき私と顔を合わせたシャム猫です。実はこの民宿の飼い猫だったのです。猫はどうやら私たちにかまってもらいたいらしく、じゃれついてきます。部屋の外に出そうと試みるのですが、ドアを閉める前にするりと入りこみます。とても人懐こい可愛い猫です。観光シーズンが終わってお客さんが少なくなったので、私たちに遊んで欲しかったのでしょう。

近所の土産物屋を見てまわった後、待望の夕食タイムになりました。普通の家庭で食べるような料理です。カレイの煮付けとか。でもそれでいいのです。食べた気がしない豪華なディナーよりも「ここは山中なのに何故海の幸が?」という不思議な食事よりもずっと良いです。

夜のあいだ、雨は止みそうにありません・・・明日も雨なのだろうか。

翌日、朝ごはんで階下に下りると、ひとりの中年男性が席についていました。どうやら私たちの他にも宿泊客が居たようです。一人旅だったら絶対民宿がいいと思う。うるさい団体さんに遭遇することもないし、宿のおばちゃんと話しも出来るから。

気になっていた天気、やっぱり雨でした。小雨の中、せっせとオートバイに荷物を積んでいく。この日、あのシャム猫は私たちを見送ってはくれませんでした。

Saturday, July 10, 1999

【 '99-06 】 馬たち

北海道滞在中にトリップメーターが77,777.7kmを達成しました。私がオートバイに乗り始めてから今までの総走行距離です。年数にして8年('99現在)、長い付き合いになります。こういうキリの良い数字が並ぶとメーターを写真に撮り、ついでにその時どんな場所に居たのかを覚えておきます。7万キロジャストの時は、山陰地方の田んぼ道でした。今回は北海道オホーツク街道、小清水付近。そして偶然にもそこには馬がいました。

そこは、ただただ草原が広がっていました。オホーツク街道を走っていて、かなり遠くからもその馬たちは見えました。もちろん飼われている馬ですが、こんな草原に放してもらえるなんて幸せだと思います。道路わきに柵は無いけれど、大人しくひとつの群れをつくって行動しているようでした。

少人数だったのが、気づくと人だかりが出来ていました。遠くから見えるし、馬はやっぱり可愛いから触ってみたくもなります。私も馬たちに挨拶しに行きました。そうしたら、後方に居た一頭の馬が歩み寄ってきて私の目を見ました。撫でている間はじっとしていて気持ち良さそうです。上手く説明できませんが、なんかこう、気持ちが通じ合っているかのようですいた。この馬と私は波長が合っていたのだと思います。

後ろ髪を引かれながら、そこを離れました。私が戻ってくるのを待っていた《鉄の馬(=オートバイ)》は少しヤキモチを焼いているように見えました。

Friday, July 09, 1999

【 '99-07 】 北海道の空

「空が違う。」
北の大地を訪れる度にいつもそう感じていた。何かが違うのだ。普段住んでいる町と比べれば季節感が違うし、実際日の出日の入りの時間もずれているのだから、当然なのかもしれない。空を見れば、「夏は入道雲」「秋はうろこ雲」といったような違いもある。日本国内に居ながら、こういった違和感を味わうのは楽しいものだ。

年中オートバイに跨り日本のあちこちを旅しているが、これほど空を眺めながら走るツーリングは他に無い。ヘルメットのシールド越しに見える風景。その殆どの部分は「空」だ。北海道の夏は天気が良くない。だからなおさら、晴れていればずーっと青い空を見ながら走っている。約1週間の旅を終える頃には、不思議と視力が上がっていたりする。

道東の根室から納沙布岬に向かっている時や、道北のサロベツ原野を北へ北へと走らせている時など、ほんっとーに空は広い。なにしろ地平線が見えるのだから、空を丸ごと見ている気がしてくる。同じ経験をした人ならば容易に思い浮かべるころが出来るだろうが、あえて私流に説明するとしたら・・・

--- かくれんぼをしていて段ボール箱の中に身を隠すとする。鬼にいつ見つかるかとヒヤヒヤしながら、そぉーっと頭上の蓋を開けてみる。そこには切り取られた天井が見える。夜、眠る時には眼球を動かさなければ全体を見ることが出来ない天井が、今は小さな存在に感じられる。--- 北海道の「天井」を見るには眼球をぐるりと動かさなければなりません。身を潜めている時、あなたを窮屈に感じさせる段ボール箱の壁面は、言うなれば街のビル群です。

空気が澄んでいる。空が高い。元気な日差しが広大な地上に鮮明な色彩を与える。草を食む牛の、モノクロカラーも美しい。北海道という所は食べ物が美味しいし、札幌や小樽のような観光名所もある。残念なことに、ツアーで廻ってしまうと食事と土産物選びだけで終わってしまうことが多いようだ。道東は特に交通機関が不便なエリアだから、出来ればレンタカーでも借りて、窓を全開にして(←これ大事)旅して欲しいと思う。車を停めて空を見上げ、眼球をぐるりと動かすこともお忘れなく!